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2019.04.05スタッフブログ

今月お薦めの1枚: ジャズ・ヴォーカル編~ブロッサム・ディアリー「ワンス・アポン・ア・サマータイム」

今月のジャズ・ヴォーカルのお薦めの1枚は、1940年後半から2000年代初めまで60年近くにわたり、アメリカと一時はヨーロッパにも拠点を置き、幅広くジャズ・ヴォーカリストとして活動したブロッサム・ディアリーがその長いキャリアを通し、30枚以上、共演作を含めると50枚近いと言われている発表したアルバムの中から、スタンダード曲を中心に12曲を収録した「ワンス・アポン・ア・サマータイム」を選びご紹介したいと思います。

ブロッサム・ディアリーは、1924年にニューヨーク郊外にあるイースト・ダーラムに生まれました。ファースト・ネーム「ブロッサム(blossom)」という名前は他のジャズ・アーティストによく有る、後から付けたアーティスト名の様ですが、実は本名で、彼女が生誕時に近所の人が父親に満開(full blossom)の桃の枝を持ってきたのが由来と言われています。

子供の時はクラシック・ピアノを習っていて、10代のときにジャズ・ピアノに転向していますが、この幼少の頃からピアノに親しみ習っていたことは、彼女がその後プロとしてデビューした後もヴォーカリストとしてだけではなく、ピアノ弾き語りのアーティストとしても活躍して行く礎になりました。

1940年代の中頃、20代に入って直ぐくらいからニューヨークでの本格的なプロとしての活動を開始し、当時人気の有ったウディ・ハーマン楽団やアルヴィノ・レイ楽団などと共演する様々なコーラス・グループに参加。そしてヴォーカリストとしての活動の傍ら、幼少頃から習っていたピアノのスキルを活かし、弾き語りピアニストとしてもニューヨークのクラブやバーで歌ったりもしていました。

小柄な身体から発する彼女のやや少女的な甘い歌声はニューヨークの音楽シーンでも受け入れられ、暫くはニューヨークでの活動を続けていましたが、その後、ブロッサム・ディアリーは1952年に活動の場をフランスのパリに移します。パリでは、一足先にニューヨークからパリに活動の場を移していたジャズ・ヴォーカリストのアニー・ロスやフランスを代表する作曲家になるミシェル・ルグランの実姉であるクリスチャン・ルグランらとコーラスグループの「ブルー・スターズ」を結成し本格的に活動を開始。この「ブルー・スターズ」はジャズ・スタンダードの「バードランドの子守唄」をフランス語で歌うなど、ユニークな作品も含め数々の作品を残しました。そしてこの「ブルー・スターズ」は、その後、フランスで盛んになるジャズ・ヴォーカルのテイストの強いコーラス・グループの草分け的存在になり、実際にクリスチャン・ルグランは後に世界的アカペラ・コーラス・グループとして人気を博すスウィングル・シンガーズのリード・ボーカルを務める様にまでなりました。

その後、28歳になった1956年に初のリーダー作、「Blossom Dearie Plays "April in Paris"」を録音しましたが、この作品では彼女は歌っておらず、ピアノのみで参加しています。そしてこの時期に彼女は、この初リーダー作の録音に参加したベルギー人のジャズ・フルートとジャズ・サクソフォン奏者で、その後アメリカに渡りジャズ・ピアニスト ウイントン・ケリーのリーダー作でジャズ・ピアノの歴史的名盤の一つと言われている「Kelly Blue(ケリー・ブルー)」の中で名演を残し名声を博することになるボビー・ジャスパーと結婚します。

この様にパリでジャズの分野での活動を続けていたブロッサム・ディアリーですが、ニューヨークでのデビュー時代と同様に、パリでも弾き語りピアニストとしての活動を続けており、パリ・シャンゼリゼ通りのクラブなどでも歌っていました。そこに当時数多くのジャズのヒット・レコードをリリースしていたヴァーヴ・レコードの主宰者、ノーマン・グランツが居合わせてその演奏に着目、彼女に「アメリカで君の歌を録音したい」と提案し、それを機にブロッサム・ディアリーアメリカに帰国し「Blossom Dearie」を録音し、1957年にヴァーヴ・レコードから発売されました。このアメリカでのこの最初のリーダー作での彼女の個性有る歌声はアメリカでも再び注目され評価も高く、翌年からは1962年まで文字通り毎年の様に5枚のリーダー作品がヴァーヴ・レコード発表される程でした。一方、この時期はジャズ・ベースの巨匠レイ・ブラウンや、オスカー・ピーターソンら数多くの名ジャズ・ピアニストに支持されていた人気ドラマーエド・シグペンら数多くの第一線アーテイストとも共演していました。この様にジャズ・アーティストとしての活動は順風満帆でしたが、私生活の方はこの時期、ボビー・ジャズパーとの僅か数年間の結婚生活に残念ながら終止符を打つことになります。

この離婚を機にブロッサム・ディアリーは再び渡欧を決意。 以来1970年代半ばに再帰国するまで、アメリカとヨーロッパを行き来しながら活動を続け、この間、ロンドンの名門ジャズ・クラブ「ロニー・スコット」でのライブ録音盤も発表し、注目を浴びています。

その後は1975年に、彼女の兄であるウォルター・バーチェットを社長に迎えた自主レーベル、ダフォディル・レコード(Daffodil Records)を設立し、これを機に再び活動の拠点をアメリカに移しますが、その後はジャズ以外の分野でも活動し、一例としては、アメリカの人気子供向け教育番組「スクールハウス・ロック」に出演し、いくつかの人気曲を歌いその歌声を披露しています。

晩年は80歳を超えても、ニューヨーク・マンハッタンの「ダニーズ・スカイライト・ルーム」などで旺盛にライブを行っていましたが、2009年2月7日に老衰のためにニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジで85年の生涯の幕を閉じました。

この様にブロッサム・ディアリーは、60年近くに及ぶ長いキャリアの中で、ジャズ・ヴォーカル、ジャズ・ピアノ、そして弾き語りの分野で多彩な才能を発揮し、数多くのアルバムを残し世界中に多くのファンが居ますが、今月はその中から、彼女の代表的アルバムの一つ「ワンス・アポン・ア・サマータイム(Once Upon a Summertime)」をご紹介したいと思います。

 

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ブロッサム・ディアリーディー


Blossom Dearie


ワンス・アポン・ア・サマータイム


Once Upon a Summertime


ブロッサム・ディアリーがフランス在住時代、パリで弾き語りピアニストとしての活動をしていた時に、ヴァーヴ・レコードの主宰者ノーマン・グランツにスカウトされ、それを機にアメリカに戻り、ヴァーヴ・レコードのために録音した三枚目のアルバムで、1959年に発売されています。

このアルバムの企画が上がった際に、彼女がヴォーカルとピアノを演奏することになっていましたが、共演メンバーについては、ノーマン・グランツからベースはレイ・ブラウン、ギターはマンデル・ロウ、ドラムはエド・シグペンといずれも当時既に名声・人気を確立していたジャズ・アーティストで有る事を教えられ、自分とは不釣合いの実力派アーティストばかりだと頑なに拒否しますが、ノーマン・グランツからは大丈夫、やってみようと何回も説得され、結局は、ブロッサム・ディアリーは、もし間違いをしてはこれらのアーティストに申し訳ないとばかりに周到に収録曲の選択とアレンジの準備をしたと言う微笑ましい逸話も伝わっています。

このアルバムでは、彼女のピアノ弾き語りをレイ・ブラウンを始め錚々たるアーティストがサポートし、また収録曲も”Tea for Two"等を始め多くのスタンダード曲が含まれて居ます。

BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で現役一流ジャズ・ミュージシャンの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当院でジャズ・ヴォーカルのレッスンを受けている方、そしてこれから当院でジャズ・ヴォーカルのレッスンを受けようと思っていらっしゃる方にも、参考用に是非お薦めしたいと思います。

< 収録曲リスト>

  1. Tea for Two

  2. The Surrey With the Fringe on Top

  3. Moonlight Saving Time

  4. It Amazes Me

  5. If I Were a Bell

  6. We're Together

  7. Teach Me Tonight

  8. Once Upon a Summertime

  9. Down With Love

  10. Manhattan

  11. Doop-Doo-De-Doop (A Doodlin' Song)

  12. Our Love is Here to Stay

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