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2019.12.26スタッフブログ

今月お薦めの1枚: ジャズ・ヴォーカル編~ダイナ・ワシントン「ダイナ・ワシントン・ウイズ・クリフォード・ブラウン」

今月のジャズ・ヴォーカルのお薦めの1枚は、1940年代から60年代前半にかけ、その天性のソウルフルなヴォイスを活かしてジャズ界だけに留まらず、リズム&ブルースやポップスまでの幅広い分野で活躍し、「ブルースの女王」と称され大きな人気を博したダイナ・ワシントンが、39年の短い生涯の中で残した30近いアルバムから、1954年に発表し、ジャズ界で高く評価され、いまだにジャズ・ヴォーカルの名盤の一つとして称されることも多い「ダイナ・ワシントン・ウイズ・クリフォード・ブラウン(Dinah Washington With Clifford Brown )」を選びご紹介したいと思います。

ダイナ・ワシントンは1924年にアラバマ州タスカルーサに生まれました。3歳の時に家族とともにイリノイ州シカゴへ移住しますが、当時全米でも最も様々な音楽が盛んに演奏されていた街シカゴへのこの移住は、後にダイナが音楽の世界に入る大きな転機となりました。 シカゴでは幼少期からゴスペルの世界に身を投じ、地元の教会のクワイヤーでピアニストとして活動し、15歳の時に地元で行われたアマチュアのコンテストに出演し、ポップスの曲を歌い優勝。そして18歳の頃には既に地元のナイトクラブでジャズ・シンガー&ピアニストとして活動するようになりました。 1943年19歳の時には、当時大きな人気を博していたアーティストの一人で、ジャズ・ビブラフォン奏者のライオネル・ハンプトンに才能を見出され、彼が率いるライオネル・ハンプトン楽団に加入し、本格的にジャズ界にデビューすることになります。この頃から彼女は本名のルース・リー・ジョーンズから、芸名のダイナ・ワシントンを名乗りだしたと言われています。

そしてこのデビューの年に早くも、当時気鋭のジャズ・プロデユーサーとしてニューヨークを中心に活動していたレナード・フェザーが取り仕切り、キーノート・レーベルのために初のレコーディングを行ない、レコーディングされた4曲のうち、レナード・フェザー自身が作曲した"Evil Gal Blues"は特に人気を集めました。その後もしばらくライオネル・ハンプトン楽団に在籍しソロ活動はしていませんでしたが、1945年にアポロ・レーベルに、初の自己名義アルバムのための12曲をレコーデ本格的にソロ・ヴォーカリストとしての活動を始めました。

その後 契約したマーキュリー・レーベルからは、1948年に発表した"Ain't Misbehavin'"がR&Bチャートの6位を記録したのを始め、数多くのヒットを生み出しました。その後もジャズに留まらずポップスからカントリーまで幅広いレパートリーを歌い、中でも1959年の”What A Diff'rence A Day Makes”は、ダイナの歌唱スタイルの幅広さを代表するナンバーとして知られ、ポップ・チャートでも8位を記録し、ダイナはこの曲でグラミー賞も受賞しています。

この様に様々なジャンルで人気を博す一方で、ジャズの世界での活動は少なくなっていたものの、1958年には当時最も規模が大きく、ステイタスの高かったジャズ・フェスティバルの一つ、「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演。 当時ジャズ界をリードしていた、ジャズ・ビブラフォン奏者テリー・ギブスやジャズ・ドラマー マックス・ローチ、そしてジャズ・ピアニスト ウィントン・ケリーら錚々たるメンバーと共演し、その演奏の様子は、ジャズを題材にした映画の中では名画と評されることも多い映画「真夏の夜のジャズ」に収録されています。

この頃のダイナ・ワシントンは、同時期に活躍していた同じ女性ジャズ・ヴォーカルのエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらの様に、スキャットで共演の器楽奏者のソロとの掛け合いをする様な事は行ないませんでしたが、ブルースやゴスペルにも通じる、大胆な即興やシャウト唱法を用い、ジャズ界において独自の地位を確立したと言われています。

しかし1959年にマーキュリー・レーベルのプロデューサーにクライド・オーティスが就くと、その方針でオーケストラ伴奏でバラードやポップソングを中心に歌うようになり、ジャズの要素や即興性は影を潜めるようになりましたが、1961年にオーティスが退いてからは即興性の高い歌唱を再び行なう様になり、さらにジャズ・ヴォーカリストとしての個性を増して行きます。しかしその後、ルーレット・レーベルへ移籍してからは、当時の同レーベルの方針も有り、死去するまでは主にオーケストラ伴奏による録音が主体になり、ジャズの分野で高い評価を受ける録音はほとんど残していませんでした。 ただ録音活動以外ではニューヨークの当時の名門ジャズ・ライブハウス バードランド等に定期的に出演していた様で、ジャズへの情熱も一向に衰えていなかった様です。

しかし残念なことにダイナ・ワシントンは1963年に、睡眠薬と痩せ薬の過剰摂取が原因で、39歳でその短い生涯に幕を閉じました。

今月は、この様にデビュー以来、ジャズ界だけに留まらず、優れたヴォーカリストとして、リズム&ブルースやポップス等の幅広い分野でも活躍したダイナ・ワシントンが、当時多大な人気を博していたジャズ・トランペット奏者クリフォード・ブラウンやジャズ・サクソフォン奏者ハロルド・ランド、ジャズ・ピアニスト ジュニア・マンス、ジャズ・ドラマー マックス・ローチらと共演し、1954年に発表した「ダイナ・ワシントン・ウイズ・クリフォード・ブラウン(Dinah Washington With Clifford Brown )」を選びご紹介したいと思います。

 

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ダイナ・ワシントン


Dinah Washington


ダイナ・ワシントン・ウイズ・クリフォード・ブラウン


Dinah Washington With Clifford Brown 


このアルバムはダイナ・ワシントンが39年の短い生涯に残した30枚近いアルバムの内、デビュー以来5枚目のアルバムになり、アメリカのジャズ・レーベルで、ダイナが当時契約していたマーキュリー・レーベルから発売されました。

共演のジャズ・トランペット奏者 クリフォード・ブラウンは、1956年に自動車事故により25歳で非業の死を遂げるまでの短い間ながら、チャーリー・パーカーやアート・ブレイキー、J・J・ジョンソン等当時のジャズ界の代表的なアーティストと共演を重ね、ジャズの名盤の一つと言われるライブ録音アルバム「バードランドの夜(A Night at Birdland )」への参加や、リーダー・アルバム「クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス(Clifford Brown with Strings)」そしてジャズ・ドラマー マックス・ローチとの双頭バンド クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットでの「スタディ・イン・ブラウン(Study in Brown)」、そしてダイナ・ワシントンと同時期に活躍した女性ジャズ・ヴォーカリスト達との共演アルバム「サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン(Sarah Vaughan with Clifford Brown)」「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン(Helen Merril with Clifford Brown)」等、後世にも名盤として賞賛されているアルバムを多く残しました。 今回ご紹介するこのアルバムでのその他の共演者としては、ジャズ・サクソフォン奏者ハロルド・ランド、ジャズ・ピアニスト ジュニア・マンス、ジャズ・ドラマー マックス・ローチら当時のジャズ界を代表するアーティストがこのアルバムに参加しています。

収録曲は「恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back to Me)」を始め、「Come Rain or Come Shine」「サマータイム(Summertime)」「There Is No Greater Love」「Alone Together」等のジャズ・スタンダード曲も多く収録されています。

BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当院でジャズ・ヴォーカルやジャズ・ピアノ、ジャズ・サクソフォン、ジャズ・ドラム等のレッスンを受けてけている方、そしてこれから当院でこれらのレッスンを受けようと思っている方には、このアルバムはスタンダード曲も多く選曲され収録にされていますので、参考用に是非お薦めしたいと思います。

< 収録曲リスト>

1. Lover, Come Back to Me

  1. Alone Together [Ballad Medley]

  2. Summertime

  3. Come Rain or Come Shine

  4. No More

  5. I've Got You Under My Skin

  6. There Is No Greater Love

  7. You Go to My Head

  8. Darn That Dream

  9. Crazy He Calls Me

  10. I'll Remember April


 

 
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