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2021.05.12ブログ〜今月お薦めの1枚 ジャズボーカル編

今月お薦めの1枚: ジャズ・ヴォーカル編~ダイアン・シューア「ラブ・ソングス(Love Songs)」

今月お薦めの1枚~ジャズ・ヴォーカル編は、1970年代中盤から現代に至るまでの40年以上にわたり、ジャズ・ヴォーカリストとしてジャズ界の第一線で活動して来ているダイアン・シューアが、1993年40歳の時に発表したジャズのスタンダード曲ばかりが収録されたアルバムで、その安定的な歌唱力がジャズ界で高く評価された『ラブ・ソングス(Love Songs)』を選びご紹介したいと思います。

ダイアン・シューアは1953年にUSAワシントン州タコマで生まれました, 早産で、出生時に体重は3ポンド未満の未熟児で、合併症を発症したため視力を失いました。彼女の双子の弟のデビッドは出生時に正常な視力を持っていましたが、聴覚に少し障害が有りました。その後は同州の州都シアトルの南部郊外オーバーンで育ち、4歳から11歳までは州内のワシントン盲学校に通っていましたが、後に教師達のサポートで公立の普通学校に転校しました。

家庭では、警察官としての仕事を行いながら、ピアノ等の楽器を愛好し演奏するアマチュア・ミュージシャンの父親と、デューク・エリントン等のレコードコレクションを持っていたジャズ好きの母親と言う音楽的に恵まれた環境の中で育ち、幼少より父親と共にピアノの演奏や歌を始めたり、母親のコレクションからジャズ・ヴォーカルのレジェンドと呼ばれていたサラ・ヴォーンやダイナ・ワシントンに憧れながら彼女達のレコードを聴きこみ、歌いたくなったらしばしばクローゼットに引きこもり、歌の練習をしていた様です。

ピアノ演奏の方は、最初は耳で聴いた通り弾くことを学びました。後に点字楽譜を読むことを学びましたが、ピアノを弾いている時に両手の1方を点字楽譜を追うのに使わざるを得ないので、演奏する度にフラストレーションを覚えていた様です。しかし徐々にピアノ演奏と歌の技術を高め、弾き語り奏者として演奏力を付けていったダイアン・シューアは、10歳の時に早くも叔母が手配した同地タコマのホテル「ホリデイ・イン」で週末だけカントリーミュージックを歌うチャンスを得ました。

そして15歳の時には、父親から同じ州内に有るリゾート地のタホ湖に連れて行かれ、同地のホテルのラウンジで歌う歌手のオーディションを受けました。彼女はオーディションに受かり仕事を得ましたが、演奏スケジュール等の詳細を聴いた父親は、まだ未成年で有り、視覚障害を持っていた彼女に付きそうためには、警察官としての彼の仕事を続けることが不可能であるとわかり、 残念ながらこの仕事のオファーは辞退されなければなりませんでした。

そして1971年18歳の時に、地元の著名な社交クラブのエルクスクラブと言う所で出会ったカントリーミュージック歌手で俳優のジミー・ウエイクリーが彼女の才能に注目して、カリフォルニア州のバーバンクで行われるレコーディングセッションに参加することを手配してくれました。そして生まれて初めて乗った飛行機でバーバンクに行きそのセッションに参加したダイアン・シューアは、オリジナルの"Dear Mommy and Daddy(親愛なるママとパパ)"という曲を録音し、当時シングル盤では基本フォーマットで有った45 回転レコードを作りました。その後も20歳になるまで、地元で多くの演奏を行い、個性有る歌声で歌唱力を磨いていったダイアン・シューア―に対し、当時有力なエンターテインメント・ライターで評論家のスチュワート・ワイナーは、彼女の歌声を「雄牛の目の中央に有る全ての音符を打つことのできるクリスタルクリアなボーカルトーン」と評し、賞賛しました。

1975年22歳の時には、ダイアン・シューアは当時人気を博していたドラマーでバンドリーダーのエド・ショーネシーのオーディションを受けました。そして彼女のピアノの弾き語りの歌唱を聴いて 「最後に髪の毛が立ってしまっていた」位、驚き感銘を受けたエド・ショーネシーは自分のオーケストラ「エネルギーフォース」のボーカリストとして即彼女を雇うことを決めましたその後も当時既にジャズ・トランペット奏者でバンドリーダーの最高峰の一人としての名声を確立していたディジー・ガレスピーに歌唱を聴いて貰える機会にも恵まれ、歌唱を聴き、彼女の事を高く評価したディジー・ガレスピーは、出演する1979年のモントレー・ジャズ・フェスティバルの彼のセットに参加し、共演することをオファーしてくれました。

そしてこのモントレーでの歌唱は、当時有力ジャズ・サクソフォン奏者として名声を確立していたスタン・ゲッツの関心も引きました。そして彼は彼女のアドバイザーを申し出ますが、後にダイアンは「彼は本当に私の指導者でした。彼は私に、少ない(フレーズで歌う)方が多くを生むという様なことを教えてくれました」と述懐しています。

そしてスタン・ゲッツのサポートも得て、1981年にはシアトルでインディペンデント・レーベル「グレート・アメリカン・レコード」からファースト・アルバム『パイロット・オブ・マイ・デスティニー』を発表しました。

その後もスタン・ゲッツはダイアンにとっては2度目の出演となるモントレー・ジャズ・フェスティバルでの共演をオファーしてくれた他、1982年には彼はレーガン大統領時代にホワイトハウスで開かれた音楽会で彼と一緒に演奏するために彼女を招待してくれました。当時29歳だったダイアンは、スタン・ゲッツの他にもディジー・ガレスピー、チック・コリア等錚々たるジャズ界のトップアーティストと共に出演し、出演した唯一のジャズ・ボーカリストとして大きな注目を集めます。公演後、ダイアン・シューアの演奏に感銘を受けたナンシー・レーガン大統領夫人は彼女を抱擁するために舞台傍に駆けつけた程でした。このホワイトハウスでの公演は全米にテレビ放映され、ジャズ・ヴォーカリストとしてのダイアン・シューアの知名度は全米の人たちの間で一気に高まりました。

その後は、GRP等の有力レーベルと契約して、今まで25枚以上の多くのアルバムを発表し、グラミー賞も4度受賞する等、文字通りトップ ジャズ・ヴォーカリストの仲間入りを果たします。また全米での高い人気も有り、ホワイトハウスでの演奏会にも更に2回招待されることになります。

今回ご紹介するアルバム『ラブ・ソングス(Love Songs)』はダイアン・シューアが40歳になった1993年に、契約していたレコード・レーベルGRPから発表されたアルバムで、特徴の有るクリスタルでクリアな歌声を駆使し、伸びやかな歌唱を展開しています。

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ダイアン・シューア


Diane Schuur


ラブ・ソングス


Love Songs


このアルバムは、ダイアン・シューアが1993年40歳の時に録音し発表したアルバムです。曲の方は、「When I Fall in Love(恋に落ちた時)」や、「Speak Low( ス・ワンダフル)」等全てスタンダード曲ばかりが11曲が収録されており、ジャズ・サクソフォン奏者トム・スコット、ジャズ・ギタリスト エリック・ゲイル等、著名アーティストをゲスト・ソリストに迎えた豪華な伴奏陣をバックに、ダイアン・シューアは伸びやかな歌唱を繰り広げています。

BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で、現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当院でジャズ・ヴォーカルやジャズ・ギター、ジャズ・ピアノ、ジャズ・ベース、ジャズ・ドラム、ジャズ・サクソフォン等のレッスンを受けてけている方、そしてこれから当院でこれらのレッスンを受けようと思っている方には、このアルバムはジャズのスタンダード曲が数多く収録されていますので、参考用に是非お薦めしたいと思います。

<収録曲>

1.When I Fall In Love

2.Speak Low

3.I Thought About You

4.Prelude To A Kiss

5.Our Love Is Here To Stay

6.You'll See

7.September in The Rain

8.The More I See You

9.Crazy

10.My One And Only Love

11.Here's That Rainy Day
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