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2021.10.26ブログ〜今月お薦めの1枚 ジャズボーカル編

今月お薦めの1枚: ジャズ・ヴォーカル編~サラ・ヴォーン『カウント・ベイシー&サラ・ヴォーン( Count Basie &Sarah Vaughan)』

今月お薦めの1枚~ジャズ・ヴォーカル編は、1940年代初頭から1980年代まで、ほぼ半世紀以上に渡り、ジャズ・ヴォーカルのトップ・アーティストの一人として、アメリカのジャズ・シーンの第一線で活躍し、60枚近いアルバムを制作・発表したサラ・ヴォーンが、1961年37歳の時に、ジャズ界を代表する歴史的ジャズ・ビッグ・バンドのカウント・ベーシー・オーケストラと共演して発表した、ジャズのスタンダード曲が多く収録されたアルバムで、幅広い声域と、豊かな声量を遺憾なく発揮した歌唱がジャズ界で高く評価された『カウント・ベイシー&サラ・ヴォーン( Count Basie &Sarah Vaughan)』を選びご紹介したいと思います。

サラ・ヴォーンは1924年3月27日、ニュージャージ州ニューアークで生まれました。父親はピアノとギター演奏を嗜み、母親は教会の合唱団で歌うと言う音楽一家で、小さい頃から自然にいろいろな音楽に親しんでいった様です。 特に両親は信仰熱心だった様で、毎週教会での音楽活動に参加していて、サラ・ ヴォーンは7歳でピアノのレッスンを受け始めますが、教会の聖歌隊でも歌い、その聖歌隊のリハーサルや礼拝の時の演奏のためにピアノを弾くようになっていました。

また幼少の頃からサラ・ヴォーンは、レコードやラジオでアーティスト達の演奏を愛聴する様になり、 10代になると地元のバンドや他の街から来訪するツアーバンドの演奏を観に行く様になりました。その内に10代半ばまでに、地元のナイトクラブや空港のラウンジでで法律的には年齢面で禁じられていましたが、ピアニストの弾き語りの演奏をし始めました。

その後、地元の高校に進学しますが、演奏の仕事と学業の両立が難しくなったため、音楽に専念するために3年生の時に高校を中退します。そして1942年の秋、18歳の時にニューヨークのアポロシアターで行われたアマチュアナイトコンテストに参加し、「Body and Soul」を歌い、見事に優勝しました。賞金は10ドルでしたが、特典としてアポロシアターでの1週間の演奏契約を与えられ、本格的なジャズ・アーティストとしての活動を開始します。

その後1943年から1944年にかけては、当時人気が有ったジャズ・ヴォーカリストのビリー・エクスタインをフィーチャーしたジャズ・ピアニスト アール・ハインズのビッグバンドにピアニストとして参加することが出来て、全米ツアーに同行していました。

そして1945年にニューヨークの52番街のスリーデュース、フェイマスドア、ダウンビート、オニキスクラブ等のジャズ・クラブで演奏活動を始め、本格的にニューヨークのジャズ・シーンでの実績を残して行きます。

この頃、サラ・ボーンはトランぺット奏者のジョージ・トレッドウェルと知り合って意気投合し、やがてジョージ・トレッドウェルはサラに乞われてマネージャーになりました。この頃から少しづつレコーディング活動も始めていたサラは、レコーディングセッションの音楽監督を彼に委任し、歌に集中できるようにしました。私生活でもさらに親しくなった2人は1946年9月16日に結婚をします。

1947年には、サラ・ヴォーンはロサンゼルスのリグレーフィールドで開催された第3回カヴァルケードオブジャズコンサートに出演しました。このコンサートはスリムガイヤール、ハニードリッパーズ等、ジャズ以外の分野のアーティストも多く出演するコンサートでしたが、ここでのサラの幅広い音域を活かした伸びやかな歌唱は、全米から多くの注目を集めました。

その後、レコーディング活動の方でも、1950年に入ってから、ポピュラー傾向のあるものをマーキュリー・レコードに、ジャズの分野ではそのサブ・レーベルのエマーシー・レコードに膨大な数の録音を残し全盛期を迎えます。この頃の代表作にはクリフォード・ブラウンと共演した『サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』等が有ります。

この頃にはポップスにも挑戦して1950年代には「Whatever Lola Wants」や「Broken-heated Melody」などいくつかのヒット曲があるものの、商業的に大きな成功を得るには至らず、ジャズの批評家からは冷淡な扱いを受けたことも有る様です。

ただ60年代にはビートルズの数々の曲や、ラヴァーズ・コンチェルト」をジャズ的にアレンジしたアルバムをリリースし、人気を博しました。

そして1977年には、ジャズ界の著名なプロデューサーであるノーマン・グランツの誘いで、彼の運営するパブロ・レコードに在籍し、ブラジルを訪れてアントニオ・カルロス・ジョビンやミルトン・ナシメントらボサノバのトップ・ミュージシャンと共演した『アイ・ラヴ・ブラジル!』や、セルフ・プロデュースを行った、1982年の『枯葉』等、後に名演と呼ばれる様になった多くのアルバムを残し、晩年までジャズ・ボーカルの女王の名をほしいままにします。

また指揮者マイケル・ティルソン・トーマスの誘いでジョージ・ガーシュウィンの作品を集めたコンサートを行った他、トーマスとロサンジェルス・フィルハーモニックとの共演で、1982年に発売されたライブ盤『ガーシュウィン・ライヴ!』は第25回グラミー賞で最優秀女性ジャズ・ボーカル・パフォーマンス賞を獲得し、自身初となるグラミー受賞を果たしました

その後、1980年代中盤以降も精力的な演奏活動を行っていましたが、その後、体調が悪化し、1990年4月3日、カリフォルニア州の自宅で肺癌のため66年の生涯を閉じました。

今回ご紹介するアルバム『カウント・ベイシー&サラ・ヴォーン( Count Basie &Sarah Vaughan)』は1961年にサラ・ヴォーン37歳の時に、ジャズ界を代表する歴史的ジャズ・ビッグ・バンドの一つ カウント・ベーシー・オーケストラと共演して発表したアルバムで、この中でサラ・ヴォーンが幅広い声域と、豊かな声量を遺憾なく発揮した歌唱を展開しています。

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サラ・ヴォーン


Sarah Vaughan


カウント・ベイシー&サラ・ヴォーン


Count Basie &Sarah Vaughan



このアルバムは、1971年に当時サラ・ヴォーンが所属していたルーレット・レーベルから発表されたアルバムです。 曲の方は「Perdido」を始め、「Lover Man」等スタンダード曲を中心に全10曲が収録されており、当時既に当代最高のジャズ・ビッグ・バンドと称されていたカウント・ベイシー・オーケストラをバックに、持ち前の豊かな声量に裏付けされた安定して歌唱を展開しています。

BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で、現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当院でジャズ・ヴォーカルやジャズ・ギター、ジャズ・ピアノ、ジャズ・ベース、ジャズ・ドラム、ジャズ・サクソフォン等のレッスンを受けてけている方、そしてこれから当院でこれらのレッスンを受けようと思っている方には、このアルバムはジャズのスタンダード曲が数多く収録されていますので、参考用に是非お薦めしたいと思います。

<収録曲>

1.Perdido

2.Lover Man (Oh Where Can You Be?)

3.I Cried For You

4.Alone

5.There Are Such Things

6.The Gentleman Is A Dope

7.You Go To My Head

8.Until I Met You

9.You Turned The Tables On Me

10.Little Man







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