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2022.01.12ブログ~今月お薦めの1枚ジャズ器楽編

今月お薦めの1枚:ジャズ・器楽編ジョー・ヘンダーソン「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」

今月お薦めの1枚~ジャズ・器楽編は、1950年代半ばから90年代末まで、ジャズ・トランペット奏者ケニー・ドーハム、ブルー・ミッチェル、ナット・アダレイ、フレディ・ハバード、ジャズ・ヴィブラフォン奏者ボビー・ハッチャーソン、ロイ・エアーズや、ジャズ・ピアニストのケニー・ドリュー、ウィントン・ケリー、ホレス・シルバー等数多くのジャズ界のトップ・アーティストと共演したジャズ・サクソフォン奏者のジョー・ヘンダーソンが、1968年31歳の時に、9枚目のリーダー・アルバムとして発表し、ジャズ界で高評価を得た「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」を選び、ご紹介したいと思います。

ジョー・ヘンダーソンは1937年4月24日にオハイオ州のライマにて、5人姉妹と9人兄弟と言う大家族の下に生まれました。両親と兄のジェームズから音楽の楽しみ方を奨められたジョー・ヘンダーソンは、最初の頃はドラム、ピアノ、サクソフォーン、作曲などに興味を持ち、特にピアノはジョー・ヘンダーソンや彼の兄弟が通う地元の学校のピアノ教師から熱心に習っていた様です。

また彼は兄弟の所有していた大量のジャズのレコード・コレクションひどく夢中になっており、知り合いになった地元のミュージシャンのアドバイスで、そのコレクションの中のレスター・ヤング、スタン・ゲッツ、デクスター・ゴードン、チャーリー・パーカーの音楽を聴きこむようになっていました。

中でもパーカーから最も強い感銘を覚えた様で、その内、ハイスクールの講師の指導でサクソフォーンを始めることになります。その一方で、この時期にジョー・ヘンダーソンは、スクールバンドや知人のロックグループのためにいくつかの楽曲を作る作曲活動も始めた様です。

18歳になると、ジョー・ヘンダーソンはデトロイトのジャズ・シーンでプロ・アーティストとして本格的な活動を開始し、ニューヨークから訪れた著名アーティスト達とジャムセッションで演奏する機会にも恵まれます。

この様にプロとしての活動を開始した後も、ウェイン州立大学でフルートとベースのレッスンを受講したり、別の音楽学校で、当時高い指導力で名声の有った教師ラリー・ティールの指導のもとでサクソフォーンと作曲のスキルをさらに伸ばしました。そして1959年暮れには自身初めてのグループを作り、リーダーとしての音楽活動も積極的に行っていきます。当時の彼のクラスメートで、後にいずれも著名アーティストになる、ジャズ・サクソフォン奏者ユセフ・ラティーフ、ジャズ・ピアニスト バリー・ハリス、ジャズ・トランペット奏者ドナルド・バードらには、多くの影響を受けていた様です。

その後、1960年から1962年の2年間は兵役に就きますが、最初の任地のベニング基地で行われた軍のタレントショーのコンテストに参加し1位の座を勝ち取り、世界各国の駐留兵士慰問のためのツアー・バンドのメンバーに選ばれました。そしてそのツアーでパリにいたときに、幸運にも当時パリで演奏活動をしていたジャズ・ドラマー ケニー・クラークと、ジャズ・ピアニスト ケニー・ドリューの知己を得る幸運に恵まれ、このことはその後のジャズ界での活動に於ける人脈作りに大いに役立つことになります。

そして1962年に退役したジョー・ヘンダーソンは、すぐにニューヨークに居を構えます。彼は初めにジャズ・サクソフォーン奏者のジュニア・クックのグループで演奏をしたりしていましたが、そこでその後ジャズ・アーティストとして多くの薫陶を受けるジャズ・トランペット奏者のケニー・ドーハムと出会うことになります。

この頃のジョー・ヘンダーソンのテナー・サクソフォンの演奏はハードバップの強い影響を受けてはいましたが、彼の演奏はビバップだけでなくリズム・アンド・ブルースやラテンアメリカ・ミュージック、そしてアバンギャルドの様式も持ち合わせていて、既に良い意味でユニークなスタイルを確立していた様です。

この様な演奏スタイルは、当時人気ジャズ・ピアニストとして活躍していたホレス・シルバーにも注目され、彼のバンドに参加してヒット・アルバム『ソング・フォー・マイ・ファーザー』では、画期的なソロ演奏の録音を残すことになります。

1966年にシルバーのバンドを去った後は、ジョー・ヘンダーソンは、ジャズ・トランペット奏者ケニー・ドーハムと一緒にビッグバンドを率いたりしていました。

1963年から1968年にかけては、ジョー・ヘンダーソンは5枚のリーダー・アルバムを含む、30枚近いアルバムを、当時ジャズ界で主流レーベルで有った、ブルーノート・レコードに残しました。その録音は、彼の初リーダー・アルバムであり比較的に保守的なハードバップのセッションの『ページ・ワン』(から、『インナー・アージ』や『モード・フォー・ジョー』のようなより前衛的なセッション等、多彩な内容に富むものでした。さらにこの頃は同じブルーノートレーベルからで他の演奏者がリーダーを務め、その後ジャズ界の歴史的な名盤になるアルバム、例えば、ジャズ・ピアニスト ホレス・シルバーの『ソング・フォー・マイ・ファーザー』やハービー・ハンコックの『ザ・プリズナー』、ジャズ・トランペット奏者リー・モーガンのヒット作『ザ・サイドワインダー』等の録音にも参加し、卓越した演奏を残し、ジャズ界での名声を更に確立いていきました。

そして1967年には、当時のジャズ界の有力プロデューサー オーリン・キープニュースが新しく作ったばかりのレーベル、マイルストーン・レコードと契約し、アーティストとしてのジョー・ヘンダーソンの経歴は新しいフェーズに入りました。1967年から1968年の間に、ジャズ・トランペット奏者フレディ・ハバードとともにジャズ・コミュニケーションズを率いり、ジャズ・ピアニスト ハービー・ハンコックのアルバム『ファット・アルバート・ロトゥンダ』(1969年)に客演したりしていました。この時期にジョー・ヘンダーソンはジャズだけでなく、ファンクやフージョンのジャンルでのスタジオ多重録音や、電子音響技術を駆使した録音といった新しいものを経験しました。またこの時期は彼は政治・社会への高い関心も示す様になり、発表した「Power To the People」、「In Pursuit of Blackness」、「Black Narcissus」といった楽曲およびアルバムのタイトルに、そのことは反映されています。

1971年に、当時世界的な人気を誇っていたブラス・ロックバンドのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズに参加した後も。レコーディングおよび演奏を続けていましたが、次第にジャズ界からは余り評価されなくなっていた様です。

しかし、ジャズ・ピアニスト チック・コリアと共演したアルバム『あの頃のジャズ (Echoes of an Era)』をきっかけに、再びジョー・ヘンダーソンは1980年代を代表するジャズ・サクソフォン奏者として認めらる様になりました。 またサクソフォン奏者としてだけでなく、熟練した多作の編曲者である彼は、スタンダードと彼自身の初期の曲の再解釈に集中するようになりました。1986年に、ジャズ・レコードレーベルのブルーノートは彼にジャズシーン復活の最前線の役割りを与え、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードでアルバム『ヴィレッジ・ヴァンガードのジョー・ヘンダーソンVol.1 & Vol.2』という2巻のアルバムの録音を行いました。ロン・カーター、アル・フォスターを擁したこのアルバムは、1957年にソニー・ロリンズが同じレーベルで録音したヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ・アルバムで採用した、テナー・トリオの形式を再現したものでした。

その後もジョー・ヘンダーソンの活動は有力ジャズ・レーベルのヴァーヴにも注目され、1990年代の初めに契約を締結したヴァーヴはジョー・ヘンダーソンのレコーディングに作曲者や名演アーティスト別のソングブック・アプローチを適用し、発売時には大々的に広告キャンペーンを打ちました。そして、ジョー・ヘンダーソンをコンテンポラリー・ジャズ・シーンの代表的アーティストの1人に据えることに成功しましたた。実際、1992年の彼の復帰作である『ラッシュ・ライフ』は商業的に大きく成功し、マイルス・デイビス、アントニオ・カルロス・ジョビンのトリビュート・アルバムや作曲家ジョージ・ガーシュウィンのオペラ曲を取り上げた『ポーギ&ベス』が続けてリリースされ、ジャズ界で高い評価を得ることになりました。

この様に1980年代から90年代にかけて、名声を取り戻し、再び第一線で活躍する様になりましたが、90年代後半から健康が優れない状態が続き、2001年6月30日、ジョー・ヘンダーソンは肺気腫の闘病の末に、64歳で心不全のために亡くなりました。

今回ご紹介する「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」は、生涯で30枚近いリーダー・アルバムを制作・発表したジョー・ヘンダーソンの9枚目としてリーダー・アルバムで1968年にヴァーブ・レーベルで録音・制作されました。

 

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ジョー・ヘンダーソン


Joe Henderson


ストレート・ノー・チェイサー


Straight No Chaser


このアルバムでは、ボルティモアで行われたコンサートでのライブ・アルバムで、ピアノにはウイントン・ケリー、ベースにはポール・チェンバース、ドラムにはジミー・コブと言う、当時最高のジャズ・ピアノ・トリオと呼ばれていた名手3人が共演し、ジョー・ヘンダーソンの豪放で且つ時に繊細な演奏をしっかり支えています。

収録曲は全8曲。タイトル曲の「ストレート・ノー・チェイサー」や「Days of Wine and Roses(酒とバラの日々)」等のスタンダード曲や、「The Theme」等マイルス・ディビスの自作曲等が収められています。

BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で、現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当音楽院でジャズ・サクソフォンや、ジャズ・ピアノ、ジャズ・ベース、ジャズ・ドラム等のレッスンを受けている方、そしてこれから当院でこれらの楽器のレッスンを受けようと思っていらっしゃる方にも、このアルバムではジャズのトップ・アーテイストの、スタンダード曲を中心とした演奏が収録されていますので、ご参考用に是非お薦めしたいと思います。

< 収録曲リスト>

  1. "Straight, No Chaser"

  2. "Days of Wine and Roses"

  3. "What Is This Thing Called Love?"

  4. "If You Could See Me Now"

  5. "On a Clear Day (You Can See Forever)"

  6. "Limehouse Blues"

  7. "Pfrancing"

  8. "The Theme" (Davis)

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