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2022.11.25ブログ

今月お薦めの1枚: ジャズ・器楽編~アート・ペッパー『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション(Art Pepper Meets the Rhythm Section)』 


今月お薦めの1枚~ジャズ・器楽編は、1940年半ばから1980代初頭までの40年弱の間、ジャズ・サクソフォン奏者として、アメリカ・ジャズ界の第一線で活躍し、100枚近くものリーダー・アルバムを発表し、ジャズ・トランペット奏者チェット・ベイカー、フレディ・バード、ジャズ・サクソフォン奏者ジョニー・グリフィン、ジャッキー・・マクリーン、ジョー・ヘンダーソン、ジョー・ファレル、ジャズ・ピアニスト、レッド・ガーランド、ジョージ・ケイブルズ、ソニー・クラーク、デユーク・ジョーダン、ジャズ・ベース奏者ポール・チェンバース、ジャズ・ドラマー エルビン・ジョーンズ、フィリー・ジョー・ジョーンズ等、数多くのジャズ界のトップ・アーティストと共演したアート‣ペッパーが、1957年32歳の時に、6枚目のリーダー・アルバムとして発表し、当時のジャズ界でオール・アメリカン・リズム・セクションとまで呼ばれたレッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズから成るピアノ・トリオと共演し、高い評価を得た「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション(Art Pepper Meets the Rhythm Section)」を選び、ご紹介したいと思います。  





アート・ペッパーは、1925年9月1日にカリフォルニア州ガーデナで生まれました。両親ともに、極度なアルコール依存症だったため、アート・ペッパーはまだ幼い頃に父方の祖母の家に送られると言う不遇の幼少時代を送っていた様です。しかしアート・ペッパーは、移り住んで祖母の下で、早くから音楽への興味と才能を示し、音楽の総合的なレッスンを受け始めます。 そして9歳になるとクラリネットを演奏し始めていた様です。13歳でアルトサクソフォンに転向し、やがて才能は早くも開花していた様で、ロサンゼルスのナイトクラブが密集するセントラルアベニュー地区の店で頻繁に行われていたジャムセッションに参加していた様です。
その内に、アート・ペッパーのアルトサクソフォン奏者としての評判は西海岸のジャズ界で徐々に高くなって行き、若干17歳の時に、トランペットやサクソフォンを演奏するマルチ楽器奏者のベニー・カーターの率いるビッグバンドのメンバーとなり、プロ・アーテイストとしてのキャリアをスタートさせます。
その後第二次世界大戦中はしばらく兵役に就き、ヨーロッパ等にも駐留していた様ですが、終戦後に退役した後はロサンゼルスに戻り、当時アメリカのジャズ界で高い評価を得ていた、スタン・ケントン率いるケントン・イノベーションズ・オーケストラに参加しました。このバンドでの活動等を通して、アート・ペッパーは1950 年代までに、ジャズ界を代表するアルト サクソフォン奏者の 1人として認められ、実際に1952 年に行われた全米で最も権威の有るジャズ専門誌ダウンビート誌の読者投票で、チャーリー パーカーに次いで 2 番目に優秀なアルト サクソフォン奏者に選ばれました。





スタン・ケントンのバンドを辞した後は、アルトサクソフォン奏者としてソロ活動を本格的に開始し、自分のバンドや、他アーティストのバンドとの共演の活動を続けていましたが、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、マイルス・デイビス等の東海岸在住のアーティスト達のジャズとは一線を画する演奏スタイルの、西海岸ジャズとして知られる音楽の動き推進者の一人になっていました。





この様にジャズ・アーティストとして着実にキャリアを積み重ねていたアート・ペッパーですが、長年ヘロイン中毒に侵され、それが起因して幾度となく刑に服したり、リハビリ施設へ入院することを繰り返していました。しかし他の多くの薬物中毒のジャズ・アーテイストとは違い、アート・ペッパーは、ジャズ・アーティストとしてのキャリアが服役やリハビリで中断されても、その度に見事にカムバックを果たし、驚くべきことに1982 年に亡くなるまでの全キャリアを通じて、常に高いレベルの音楽性を維持し、数多く発表して来たアルバムのクオリティも高いままでした。





そして薬物中毒から最後のカムバックを果たしたアート・ペッパーは、1968年から1969年までは当時ジャズ界で人気の有ったジャズ・ドラマー バディ・リッチの率いるビッグ・バンドのメンバーになり、.1970年代に入ってからは自分のリーダー・グループで、主にギャラクシー ・レコードのために多くのアルバムを録音しました。





またライブ活動の方も、1970年代に入ってからは国外も含め積極的に行う様になり、1977年には初来日を果たしています。この初来日時に日本のファンの熱狂的な歓迎にアート・ペッパーが大いに感動した様で、この時のことは、妻ローリー・ペッパーとともに出版したアート・ペッパーの自伝『ストレート・ライフ』(1980年)に記されています。この初来日がきっかけになり親日家になり、その後も実力派ジャズ・ピアニスト ジョージ・ケーブルス等を率いて来日しており、コンサートの合間に日本のアーティストのアルバムの録音にも参加していたりしていました。





この様に度重なる薬物中毒から立ち直り、アルバム制作やライブ活動を精力的に続けていたアート・ペッパーですが、残念なことに1982
年 6 月 15 日にロサンゼルスで脳卒中を発症し、 56 歳の若さで亡くなりました。そして長年居住したロサンゼルス郊外のハリウッドに有る フォーエバー墓地に埋葬されました。





今回ご紹介する「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション(Art Pepper Meets the Rhythm
Section)」は、1957年32歳の時に、6枚目のリーダー・アルバムとして、コンテンポラリー・レコードから発表したアルバムです。









このアルバムは、アート・ペッパーが1957年32歳の時に、当時所属していたコンテンポラリー・レコードから6枚目のリーダー・アルバムとして発表したアルバムです。               
共演者は当時ジャズ界でオール・アメリカン・リズム・セクションとまで呼ばれた、ジャズ・ピアニスト レッド・ガーランド、ジャズ・ベーシスト ポール・チェンバース、jジャズ・ドラマー フィリー・ジョー・ジョーンズから成るピアノ・トリオで、これら名手をバックに、                          
アート・ペッパーは、「You'd Be So Nice to Come Home To」、「The Man I LoveStella」等のスタンダード曲や、「Straight Life)等のオリジナル曲を、美しい音色でのテーマ演奏や、縦横無尽な即興演奏を繰り広げています。 





BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で、現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、当音楽院でジャズ・サクソフォンやジャズ・トランペット、ジャズ・ピアノ、ジャズ・ベース、ジャズ・ドラム等のレッスンを受けている方、そしてこれから当院でこれらの楽器のレッスンを受けようと思っていらっしゃる方にも、このアルバムではジャズのトップ・アーテイストの、スタンダード曲を始めジャズの名曲の演奏が収録されていますので、ご参考用に是非お薦めしたいと思います。





< 収録曲リスト>





  1. "You'd Be So Nice to Come Home To" 
  2. "Red Pepper Blues"
  3. "Imagination" 
  4. "Waltz Me Blues" 
  5. "Straight Life" 
  6. "Jazz Me Blues" 
  7. "Tin Tin Deo"
  8. "Star Eyes"
  9. "Birks' Works"
  10. "The Man I Love"

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