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2022.12.16ブログ〜今月お薦めの1枚 ジャズボーカル編

今月お薦めの1枚:ジャズ・ヴォーカル編~べティ・カーター『ミート・ べティ・カーター ・アンド・ レイ・ブライアント(Meet Betty Carter and Ray Bryant) 』


今月お薦めの1枚~ジャズ・ヴォーカル編は、1940年代から1990年代後半に至るまでの半世紀以上もの間、ジャズ・ヴォーカリストとして高い歌唱力、表現力だけでなく、著名インスツルメント奏者とも対等に渡り合えるほどのスキャット唱法や即興テクニックで幅広い層に人気を博したべティ・カーターが、1955年26歳の時に制作、発表したアルバム『ミート・ べティ・カーター ・アンド・ レイ・ブライアント(Meet Betty Carter and Ray Bryant) 』を選びご紹介したいと思います。  





                                              べティ・カーターは,1929年5月26日にミシガン州フリントで生まれ、デトロイトで育ちました。父のジェームズ・ジョーンズはデトロイト教会の音楽監督で、幼少の頃から音楽的な環境には恵まれていた様です。しかし子供の頃から、べティ・カーターは非常に自立心を持ち、家族からの養育を期待しないように育てられました.。実際に家を出てから 30 年経った頃のインタビューでも、べティ・カーターは自分が育った家庭について、「家族の近況を知るために、自分から毎週家に電話したり電話をかけたりすることはなく、家族の方も今の自分について「私たちは誇りに思っています」と言ってくれる様な、本当の親密さは感じることはこれまで無かった」と言及しています。





ただ、家族からの支援が余りなかったことは彼女を孤独を感じさせたこともあったものの、強い自立心をもって、自分のアーティストとしての成功のために努めていく決意をさせたことに繋がった様です。





そしてべティ・カーターは16歳で歌い始める様になるものの、両親は彼女が歌手としてのキャリアを追求することをあまり支持していなかったので、夜にこっそり抜け出し、地元のアマチュア・ショーのオーディションを受けたりしていた様です。





やがて最初にアマチュア大会で優勝した後、それまで家族との疎遠な関係を感じていたべティ・カーターは、音楽の世界がまるで自分を初めて受け入れてくれたかのように感じ、この世界でキャリアを積んていくことと、そのためにたゆまぬ努力をしなければならないと決心します。彼女の決意を表すエピソードとして、ライブ演奏を始めたとき、若すぎてバーに入ることを認められなかったため、ヴォーカリストとして出演するバーに入場するために偽造出生証明書を取得した程でした。
そして演奏活動を始めた若い頃から、べティ・カーターは当時のジャズ界では新しいスタイルのヴォーカリストととらえられていた様です。歌唱中の息継ぎの方法は、彼女が音楽シーンに登場する前はめったに聞かれなかった特徴でした。べティはまたスキャット シンギングへの情熱や、当時のジャズ界でのスキャット・シンギングそのものへの使い捨て的な態度は不適切であるという強い信念も持っていた様です。そしてスキャットシンギングに対して基本的な創意工夫を示すことに努めていました。     





この様に、べティ・カーターがヴォーカリストとしての活動を開始した地元のデトロイトは、当時ジャズが急激に人気を博する街になっていた様で、アマチュアのコンテストで優勝した後、直ぐにタレントエージェントと契約を交わすことが出来て、その内べティ・カーターは、デトロイトに長期間滞在し、演奏活動を行っていた、ジャズ・トランペット奏者のディジーガレスピーなどの有名なジアティストと共演する機会がに恵まれます。 実際にべティ・カーターのスキャッティングがガレスピーの即興演奏の特徴と類似していたことも、これまでしばしば指摘されてきました。





ディジー・ガレスピーのデトロイト訪問時に、ジャズ・サクソフォン奏者のチャーリー・パーカーは精神病院で薬物中毒の治療を受けていたため出会いが遅れましたが、最終的にパーカーとも共演することもできて、トミー・ポッター、マックス・ローチ、マイルス・デイビスからなるチャーリー・パーカー率いるバンドでも演奏する機会に恵まれた様です。ガレスピーとパーカーと言う当時非常にジャズ界で注目されていたアーティストの両方から歌唱力を称賛されたことで、べティ・カーターは自信が高まり、忍耐力さえあればこの世界のビジネスで成功することを改めて悟った様です。





そして1948年には、べティ・カーターはジャズ・ビブラフォン奏者ライオネル・ハンプトンから、彼が率いるバンドに参加するように頼まれました。 このバンドは当時大変人気があり、彼女のキャリア上ついに大きな飛躍をすることになります。実際にハンプトンのグループと仕事をすることで、ジャズ・ベーシスト チャールズ・ミンガスやジャズ・ギタリスト ウェス・モンゴメリーなどのジャズ界のスター的なアーティストや、その他にも多くの著名で有能なアーティストと共演するチャンスを得ました。ガレスピーのバンドにべティ・カーターが参加していた当時、ガレスピーやパーカーが提唱していたビバップ・スタイルのジャズを好む様になっていました。そしてべティ・カーターは、ビバップに対する深い愛情とそれを演奏できるだけの才能を持っていました。その愛好ぶりに、ライオネル・ハンプトンの妻グラディスは彼女に「ベティ ビバップ」というニック・ネームを付けていたほどですが、べティ自身はてこのニック・ネームで呼ばれることを余り好きではなかったと言われています。                        音楽的に有能で魅力的な性格で有る一方で、べティ・カーターは非常に独立心が強く、ハンプトンの指示に抵抗しようとする傾向がありました、ハンプトンも気性は激しく、その様な抵抗に対してすぐに怒りを示していた様です。ハンプトンは自分のバンドのプレイヤーに多くのことを期待し、彼がバンドのリーダーであることを認識する様に求めていましたが、彼女は彼のスウィング スタイルを公然と嫌い、スウィングする方法で歌うことを拒否することも多かった様です。 それでもべティ・カーターはハンプトン・バンドでのツアー中に即興でのスキャットの歌唱力を磨いていましたが、ハンプトンは彼女の即興の傾向を楽しんでいなかったため、あまり受け入れら様とはしていなかった様で、実際に 2 年半の間に、ハンプトンはカーターを合計 7 回も解雇していた様です。





しかしハンプトンのバンドの一員であることは、べティ・カーターにとって、いくつかのものを得ることができました。ジャズ界の有力アーテイストとのつながり、そして音楽への新しいアプローチ、そして歴史上最後のビッグバンド全盛時代のジャズシンガーの 1 人として歴史に名を残したことです。    





その後、1951年までにべティ・カーターはライオネル・ハンプトンのバンドを去り、自宅で短期間休養した後、ニューヨークに拠点を移し、1950 年代初頭の大部分をニューヨークで演奏活動を行う一方で南部地方へのの大規模なツアーにも参加しました。これらの活動は余り収入面ではよい条件ではありませんでしたが、べティ・カーターはアーティストとして成長する必要がまだまだ有ると感じており、「会費を支払う」感覚ととらえていた様です。





べティ・カーターはニューヨークに移住して直ぐに、キング・プレジャーとレイ・ブライアント・トリオとの共演でレコーディングすることのオファーを受け、これらのレコーディングを通じよりニューヨークのジャズ・シーンでの知名度は高まり、その後アポロ・シアターで歌う機会が与えられました。この劇場は、新進気鋭のアーティストが名声を高める最高の場所の一つとして知られていました。べティ・カーターは その後も1955 年までに Epic レーベルを中心にアルバム録音を行い、徐々にニューヨークでのジャズ・ヴォーカリストとしての地位を固めて行きました。





そして彼女の才能に注目していた、ジャズ・トランペット奏者マイルス・デイヴィスは、著名ソウルミュージック歌手のレイ・チャールズにべティ・カーターを庇護下に置き、活動をフォローする様に勧めました。   そしてべティ・カーターは 1960 年にチャールズとのツアーを開始し、1961 年に彼とのデュエット 『レイ チャールズとベティ カーター』のレコーディングを行いました。        この様に多くのジャズ・アーテイスト に才能を認められて来たべティ・カーターは、1963年には。当時ジャズ・サクソフォンの既にトッププレイヤーの一人になっていたソニー・ロリンズと共に初来日も果たしました。この時期、彼女は ABC-Paramount、Atco、United Artists などのさまざまなレーベルでレコーディングを行いましたが、出来上がった作品に満足することはめったにありませんでした。





1960 年代になると、カーターの名声をますます高まりましたが、その頃ジャズに代わって音楽界で台頭して来た現代のポップ ミュージックの演奏をレコード会社等から求められても、歌うことを拒否し、カーターにとっては困難な時期になりました。その内にロックンロールも流行し始め、ポップスと同様に着実に人気が高まり、レコード会社等は大幅な売り上げ増を享受しました。            しかしカーターは、この様なジャズの衰退下でもジャズの演奏を続けるために、小規模なライブで出演したりして一生懸命働かなければなりませんでした。 一方、プライベートの方でも彼女の結婚生活も破綻していました。 この様な逆境の中ではありましたが、 1970年代に入り独身になったべティ・カーターは、主にピアノ、ドラム、ベースだけで構成される小さなグループと共積極的にライブ活動を行っていました。このベティ・カーター トリオは、1960 年代後半から 1970 年代にかけて、ロックン・ロールやポピュラー音楽隆盛下に多くのジャズ・アーテイストがジャズでの職を求めてヨーロッパに渡る中、アメリカに残ってライブ演奏活動を続けていた数少ないジャズ グループの 1 つでした。





そしてべティ・カーターは 1969 年には、自身のレコード レーベル Bet-Car Records を設立し、その後 18 年間は、このレーベルはべティ・カーターの歌唱・トリオの演奏の唯一の録音ソースとなりました。





この自己のレーベルで多くのアルバムで発表し続ける一方、1972 年からはバーモント州のゴダード カレッジを皮切りに、カレッジや大学へ訪問し、演奏やジャズに関する講義を行なうことを開始し、べティ・カーターはこれらの活動にも生き甲斐を感じていた様です。





この様に、1990年代末まで演奏ツアー、レコーディング、教育活動と多方面に渡りジャズの普及に尽力して来たべティ・カーターでしたが、1998 年の夏に膵臓癌と診断される 同年の9 月26日に69年の生涯を閉じました。





今回ご紹介する『 ミート・ べティ・カーター ・アンド・ レイ・ブライアント(Meet Betty Carter and Ray Bryant)』は、1955年 べティ・カーターが26歳の時に録音され、コロンビア・レコードから発表されたアルバムです。





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べティ・ カーター





Betty Carter





ミート・ べティ・カーター ・アンド・ レイ・ブライアント





Meet Betty Carter and Ray Bryant





1955年 べティ・カーターが26歳の時に録音され、コロンビア・レコードから発表されたアルバムです。 このアルバムでは、当時べティ・カーターと同様に新進気鋭のアーティストで有ったジャズ・ピアニスト レイ・ブライアントや一部の曲では、ベテランピアニスト ハンク・ジョーンズの率いるトリオをバックに、べティ・カーターはその後音楽界で高く評価されることになる情感豊かで且つダイナミックな唱法で、"Moonlight in Vermont" 等のスタンダード曲中心の収録曲を歌い上げています。





BarBarBar音楽院は、長年ジャズの街横浜で、現役一流ジャズ・アーティストの講師陣によるレッスンを提供して参りましたが、今当院でジャズ・ヴォーカルやジャズ・ギター、ジャズ・ピアノ、ジャズ・ベース、ジャズ・ドラム、ジャズ・サクソフォン、ジャズ・トロンボーン等のレッスンを受けてけている方、そしてこれから当院でこれらのレッスンを受けようと思っている方には、このアルバムはジャズのスタンダード曲も多く収録されていますので、ご参考用に是非お薦めしたいと思います。





<収録曲>





1."Let's Fall in Love" (Harold Arlen, Ted Koehler) – 1:58
2."Social Call" (Gigi Gryce, Jon Hendricks) – 2:37
3."Runaway" (Cy Coleman, Peggy Lee) – 2:28
4."Frenesi" (Alberto Dominguez, Leonard Whitcup) – 2:31
5."Moonlight in Vermont" (John Blackburn, Karl Suessdorf) – 3:23
6."Thou Swell" (Lorenz Hart, Richard Rodgers) – 1:40
7."I Could Write a Book" (Hart, Rodgers) – 2:37
8."Gone with the Wind" (Herbert Magidson, Allie Wrubel) – 4:10
9."The Way You Look Tonight" (Dorothy Fields, Jerome Kern) – 2:41
10."Tell Him I Said Hello" (Jack J. Canning, Bill Hagner) – 2:32
11."Can't We Be Friends?" (Paul James, Kay Swift) – 2:25
12."Sneaking Around" (Ray Bryant) – 3:16
13."Old Devil Moon" (Yip Harburg, Burton Lane) – 3:59
14."Willow Weep for Me" (Ann Ronell) – 3:34
15."What Is This Thing Called Love?" (Cole Porter) – 2:52
16."Threesome" (Ray Bryant) – 2:44
17."No Moon at All" (Dave Evans, Redd Mann) – 2:51
18"Bryant's Folly" (Bryant) – 4:49
19."Get Happy" (Arlen, Koehler) – 4:20





※べティ・カーターの歌唱は、トラック1から11まで。 トラック12以降はレイ・ブライアント・トリオの演奏のみ






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